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2021年11月01日(月)掲載
第1章 ザボーガー編「あきらめるな!立ち上がれ!」1/4
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「塚口サンサン劇場が、今の形になったきっかけを教えてほしい」
2015年頃、戸村文彦さんに改めてそう聞いてみたことがある。

町の映画館として親しまれ、家族連れが気軽に来れる映画館。
「エプロンでもぜひおこしください」
そんな言葉が掲げられているのは、そうした気軽さの表れだろう。
劇場の裏側にはダイエーも入っていて、食材の買い物に訪れる主婦も見受けられる立地だ。

そんな映画館が、なぜ、「日本中から人々が、わざわざ訪れる」ような映画館になったのか。
紙吹雪が舞い、コスプレが行われ、スタッフが観客と一緒になって遊び、「聖地」とまで言われるようになったのか。

まずはそのきっかけを整理したくなった。

そんな疑問をぶつけた私に、戸村さんはこんな言葉をつぶやいた。
ザボーガー後、と私たちは呼んでいます」
「後?」
「『電人ザボーガー』前と、『電人ザボーガー』後。この1つの作品を境目にして、うちの劇場の方向性が大きく変わりました。なのでスタッフの中でそう呼んでいるのです」

戦前と戦後。バブル前とバブル後。コロナ禍の前と後。
なにかしらエポックメイキングなことが起こった時、それ以降いろんな常識や価値観、流れが変わってしまうことを「~後」という言い方で表すことがある。
それになぞらえていうと、塚口サンサン劇場は「ザボーガー後」にすべてが変わったという。
2011年のことだった。

もちろんそれ以前にも、少しずつ変化はあった。
端的に言うと、「外的な要因」が押し寄せていた。

一番大きな「事件」は、大型商業施設「西宮ガーデンズ」の誕生だった。
阪急神戸線の「西宮北口」駅すぐ、阪急西宮スタジアム跡地に2008年にオープンした、延床面積約24万7千平方メートル、当時日本最大級のショッピングモール。

そこに併設されたのが「TOHOシネマズ 西宮OS」という映画館。12スクリーンのシネコンで、しばらく映画館がない状態が続いていた西宮市にとって待望の場所だった。

さらにほかの映画館の存在も大きかった。
塚口サンサン劇場から北に少し車でいけば、イオンモール伊丹内に「TOHOシネマズ 伊丹」がある。
少し南のJR神戸線沿線には、尼崎駅前に「MOVIXあまがさき」がある。
もちろん梅田からも近くて、阪急神戸線で10分ちょっとで、梅田のシネコンにもたどり着けてしまう。
そして2008年に、阪急で2駅のところに「TOHOシネマズ 西宮OS」ができたというわけだ。

かくして、塚口サンサン劇場は「シネコンに囲まれる」ことになった。

「だからこそ、近隣の人だけではなく、少し離れた場所からわざわざ映画を観に来てくれるような、そんな場所にしないといけない」
戸村さんはそう思った。
また、近隣の年配のお客さんからはこういう声も上がっていた。
「映画観たくても梅田や三宮までよお行かん。もっといろんな作品やってくれたらありがたい」

塚口サンサン劇場は、戸村さんにその改革を任せることにした。それが2010年頃だ。
「家族向けや大作映画以外にも、良質の『観たい人が足を運びたくなる映画』をやろう」と考えた。

シネコンに囲まれた映画館の生き残る道。
スタッフ間でもその意識を共有し始めた。
「でも」
と戸村さんは頭をかいた。
「そこで選んだのが『電人ザボーガー』というのが、ウチらしいというか、何かズレているというか……」

『電人ザボーガー』
2011年に制作・公開された日本映画だ。
監督は井口昇、主演は板尾創路。
もともとは1974年から放映されていた特撮テレビ番組があり、それを今の時代に再現した。
ふつう、「大作映画じゃない良質の映画をかけよう」となった時、思い浮かぶのは、ミニシアターや単館系映画館でかかっているような、小規模ながらも評価の高い作品だろう。
だがそこで塚口サンサン劇場は、往年の特撮ドラマが映画になってよみがえった『電人ザボーガー』を選んだ。

それが、2011年11月。
今の同劇場に続くエポックメイキングな出来事であった。


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