ほら貝の音が響き渡る映画館。
映画の音楽に合わせて、みんながはしゃぐ映画館。
紙吹雪とクラッカーが、1日何キロも消費される映画館。
コスプレの人たちであふれかえる映画館。
ダンボールの制作物がSNSをにぎわす映画館。
スタッフが、前説とパフォーマンスをする映画館。
そして。
日本全国から、わざわざ人が押し寄せる映画館。
これは全部、ある一つの映画館のことだ。
兵庫県尼崎市にある、塚口サンサン劇場、という映画館だ。
古めかしい名前には理由がある。
1953年にオープンし、いまの劇場名になったのが1978年。
「塚口サンサン劇場」という呼称自体、40年以上も使用されてきた、歴史のある映画館なのだ。
その長い歴史のうちほとんどは、近隣の人たち、特に家族連れが気軽に寄るような、いわば「町の映画館」として運営されていた。
それがここ10年程で、なんだかおかしなことになってきていたのだ。
すべては、2011年11月にはじまった。
塚口サンサン劇場が、ある映画作品の上映を決めた時だ。
当時、ある人がツイッターにあげた投稿があった。
「いまから塚口サンサン劇場に行きます!」
投稿に添えられた写真には、東京駅が映っている。
「どういうことだ」
塚口サンサン劇場の戸村文彦さんは、不思議に思ったという。
同劇場のある兵庫県尼崎市まで東京駅からだと、まず新幹線で新大阪まで行き、電車を乗り継いで早くても合計3時間はかかる。
「なぜ東京から?」
戸村さんがスタッフと首をかしげあっていると、劇場の電話が鳴った。
「伊丹空港からそちらに行く方法を教えてほしい」
「近くに泊まれるホテルはあるか」
そんな問い合わせだった。
地方の、「町の映画館」に過ぎなかった塚口サンサン劇場に、日本中から人が集まろうとしている。
――これはえらいことになったぞ。
戸村さんは、そう感じた。
そしてそれが、「愛される映画館」として新生した塚口サンサン劇場の、すべての始まりだった。