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第1章 ザボーガー編「あきらめるな!立ち上がれ!」2/4

2011年11月に、塚口サンサン劇場はなぜ『電人ザボーガー』の上映に踏み切ったのか。
そこに通底するのは、誤解を恐れずに言えば、「軽いノリ」だ。

シネコンが周囲に増える中、家族向けだけではない多彩な作品ラインナップをそろえていく、という方向で劇場スタッフの意見は一致した。
そしていくつかは、今までは上映しなかったような種類の作品もかけ始めていた。

だが悩みは尽きない。
答えは出ない。
どんな作品を持ってくれば喜ばれるのか。
みんなが「観たい!」と渇望する映画は、どんなものなのか。

悪戦苦闘していた時、戸村さんは上司に一枚のチラシを渡される。
「これ、観たいんやけど」
それが『電人ザボーガー』だった。
戸村さんは、「なんて映画を持ってくるんだ、と思った」と当時を振り返る。

でも戸村さんはじめ、スタッフは否定も反対もしなかった。
「とりあえず観てみようか」という気持ちで、全員で作品の予告編を観た。
そして……。

大爆笑した。


「時は来た!」
「目覚めよ!伝説のヒーロー」
「板尾創路です。ぼく、47歳にして初めてヒーローになりました」
「お前が思った正義を貫き通せ、ザボーガーと共に!」

かつての特撮番組を、井口監督のセンスと板尾さんの演技が、新たな感覚で現代によみがえらせていた。

この作品を上映するとなったところで、勝算はまったくなかった。
新しいお客さんが来てくれる見込みも立ってはいなかった。
でも、「とりあえず」面白そうだった。

だから。
「とりあえず」
上映することにした。

その「軽いノリ」が、序章で記したような、「東京からわざわざ尼崎の劇場に映画を観に行く」という人の動きを呼ぶことになった。

これ以降も塚口サンサン劇場では、戸村さんが自称するところの
「軽いノリで悪ノリ」
という気分が、ずっと作られていくこととなる。
後述するマサラ上映、イベント上映、ユニークな企画も、ほとんどが「その場のノリ」で決まっていった。

でも確実に言えるのは、「劇場スタッフ自身もノリでやっている」、いやむしろ「ノリノリでやっている」ということだ。
だからこそ軽いノリに見える形で物事が決まっていくし、多くの人がそのノリに乗っかりたい、と思えるようになってきたのだ。

また、それ以降劇場の恒例となった「いろんな装飾を手作りしていく」というアイディアも、すでにこの『電人ザボーガー』から見てとれる。
手作りの顔抜きスタンディ(大型の紙看板の宣伝素材)を作ったのだ。
「観に来てくれる人たちに、ちょっとでも楽しんでもらいたい」
そんな劇場側の熱意の結果だった。
その「手作り」のノリも、これ以降いろんなところで活用されるようになっていく。
詳しくは、ダンボール班の動きに触れる後の章で述べたい。

02

「電人ザボーガー」のドラマが作られたのは1974年。
映画『電人ザボーガー』は2011年。
37年の時を経て、伝説のヒーローが再始動した。

予告編では「あきらめるな、立ち上がれ!」と熱く叫びが聞こえる。
この言葉は、ひょっとすると戸村さんはじめ塚口サンサン劇場のスタッフには、自分たちへのエールに聞こえたのかもしれない。

1953年にオープンし、1978年に「塚口サンサン劇場」の名前になった。
それから33年の時を経て。
周囲がシネコンになり、映画館に求められる役割も変わり、何かを変えなければいけなくなった2011年に。
町の映画館があきらめずに立ち上がり、再始動したのだから。

塚口サンサン劇場は、33歳にして、映画館のヒーローへの道を歩みだした。
その姿が、『電人ザボーガー』の主人公の姿にだぶって見えた。