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第3章 マサラ上映編「ハッピーじゃなければエンドじゃない」2/4

前項で触れたとおり、実はインドで「マサラ上映」が行われているわけではない。
インド、特に南のインドで日常的になっていたのは、あくまで「立ったり踊ったり叫んだりする」鑑賞方法のことだ。
ここには、インドでの「映画」という文化の存在のありがたさがある。

インドでの映画は、もともとは大衆娯楽の頂点だった。
特に不富裕層が多い南インドでは、日々のつらい労働を忘れさせてくれる最上の娯楽として親しまれていた。
インド映画にダンスシーンが用いられているのも、それが理由だ。
ダンスの場面になると、観ているインド人たちは、熱狂し、お祭り気分になったのだ。

一昔前では、手の甲にアザや傷があるインド人が多かった、という逸話がある。
観たい映画のチケットを買おうとするあまり、映画館のチケット売り場の、ガラスの下の受け取り窓口に同時に多人数が手を突っ込み、傷をつくるからだという。
また、昔の低予算映画の中には、通常のドラマシーンは白黒で撮影し、ダンスシーンだけフルカラーになる作品も見受けられた。それだけインド人にとって、映画のダンスシーンは重要なのだ。
このあたりは、ルポライター沢木耕太郎さんの「深夜特急」が詳しい。

それはさておき。
インドではそういった形で、映画は熱狂しながら観るものでもあった。
だが、紙吹雪、クラッカーは、実は日本で始まったスタイルだ。
2001年に大阪・新世界の動物園前シネフェスタ4で初めて実施したのをきっかけに、いつしか日本中にその形式が広がっていった。
塚口サンサン劇場が2013年6月に『恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム』で行ったマサラ上映も、この形だ。

それに合わせて同劇場では、インド関連のコラボを企画した。
歩いてすぐのインド料理店との協力で、サンサンスペシャルカレーや雑貨を販売。
インドのビールなども仕入れた。
「塚口印度化計画」と題し、観客にインド気分を楽しんでもらうように準備を進めていった。

ちなみにこのタイトルは、同劇場のツイッターで
「大槻ケンジさん・筋肉少女帯の楽曲『日本印度化計画』からとりました」
と告白されている。
これ以降もちょくちょく、戸村さんが好きな音楽やバンドの影響をイベントや企画に取り入れていくことが見て取れるようになるのだが、それはまた別の話だ。

またもう一つ、それ以降の同劇場の方向性の萌芽が見て取れる。
「お客さんを巻き込む」
という手法だ。
劇場ブログでは、マサラ上映当日にインドの衣装「サリー」を着てきてくれる観客に、こんなお願いをした。
「きれいなサリーを身に纏い、ラクシュミー神のようなお姿で、当劇場のチラシを30分間配ってください」
そのお礼に、劇場の招待券をプレゼントするという呼びかけだ。

その呼びかけがファンに伝わり、当日は映画上映開始前に、予想以上の数のサリー姿の人たちが劇場を訪れた。
劇場ではカレーが売られ、スパイスの香りが漂う空間となった。
まさに「塚口印度化計画」が実現したのだ。

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そしていよいよ、2013年6月1日。
同劇場で初めての、「クラッカー・紙吹雪あり」のマサラ上映が開催された。

当日は、別の映画館ですでにマサラを経験した方たちとマサラ初体験の人が混ざっていたが、経験者の中には「マサラの振り付けガイド」を制作して配布する強者ファンもおり、未経験でも楽しめるようになっていた。

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塚口サンサン劇場ではこれ以降、「お客様が自らアクションを起こして、他のお客様の楽しみ方を手伝う」ということが頻繁になってくる。
マサラでは、紙吹雪やクラッカー、手作りのフラッグを配ったり、ということが、いわば「恒例の風景」となっていった。
それは、塚口サンサン劇場がある意味マサラの”後発”映画館だったこともプラスに働いたのだろう。ほかの劇場でその楽しさを知った人たちが、「その良さを伝えたい」「楽しさを共有したい」と動いてくれた結果だった。