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ドキュメンタリー作家「森達也」(前編)

かつてオウム真理教の信者に迫ったドキュメンタリー映画『A』(1997)『A2』(2001)を撮った森達也監督。
映画だけでなく、著作『ドキュメンタリーは嘘をつく』(草思社、2005)など文筆活動も行い、自身のドキュメンタリーに対する独自の考えをずっと表明し続けてきた。
その森監督が、『A2』以来10年ぶりとなるドキュメンタリー映画を撮った。
タイトルは『311』。名前どおり、2011年3月に起こった東日本大震災が題材だ。

実は『311』は森監督一人の作品ではない。
映像ジャーナリストの綿井健陽さん、映画監督の松林要樹さん、そして森監督と長年タッグを組んできたプロデューサー安岡卓治さん。
4人がカメラを持ち被災地で撮影した映像をつなぎあわせて、1本の映画にした。

今回は『311』について、そして監督自身のドキュメンタリーを撮る姿勢について、話を聞いた。

(『311』公式サイトはこちら
 

映画にする、と後で決めた

‐‐‐書籍『311を撮る』(岩波書店)を拝読しました。それを踏まえながら少しお話を聞けたらと思います。

まず、今回の『311』よりずっと前、オウム真理教のドキュメンタリー『A』『A2』などを撮られていた当時の、ドキュメンタリーに対するスタンスというものが森監督の中でずっとあったと思うのですが、今回それは変化したのでしょうか?

 『A2』以降ずっと映像からは距離を置いていましたから、心構えは当然違っているとは思います。ですが今回の『311』は、最初から映画にしようと思って現地に行ったわけではありません。帰ってくる時も映画にしようと思っていませんでした。

帰ってしばらくしてから、だんだん作品になってきたという過程なので、自分では心構えがないまま完成したとの印象です。

‐‐‐『311を撮る』の中でも、最初は行くこと自体を迷っているあたりの描写がありましたね。つまりご自身の中で整理がつかないままで、誘われたから行ったということなのでしょうか。

 最初は映画うんぬんの話でもなくて、まず「現地に行きたい」という気持ちがあまりなかったので。取材しようとか伝えようとか的な使命感は薄いし、そもそもジャーナリストではないですから、無理矢理に行ったというところが正確です。

‐‐‐それでは、映画にすると具体的に心の中で決められた時期っていうのはありますか?

 昨年(2011年)の11月ですね。山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映して、その後です。その前に釜山で上映があって、山形や釜山での観客の反応で決めようかとみんなで言っていたので。ただ反応が賛否両論にわかれてしまったんですね。

‐‐‐「賞賛と罵倒」という表現をされてましたね。

 それは少し大げさだけど、両極端だったことは確かです。だからどうしたもんだろうと言う話をしていたけど、これだけ賛否両論があるってことは映画が自立しちゃってるということでもあるわけで、じゃあ上映していいんじゃないかなっていう意見も出て、たしかにそうかなって思ったんですね。

‐‐‐テレビだと漫然と見ている客の興味をひかないといけない、でも映画だとお金を払って観にくる。お客さんに見る覚悟があるかどうかという違いがあると思いますし、森監督もそういうお話をおっしゃっていたと思うんですが、今回の映画を上映するということにあたってはそのあたりの意識がありましたか?

 もちろんです。どっちが良い悪いとかの優劣じゃないんですが、映画はやはりモチベーションを持った人がお金払って観にくるわけですから、それに応えるだけの物にしなければ上映なんてできないでしょう。でも、『311』がそういう作品かどうかだんだん分かんなくなってきたんです。「ゲシュタルト崩壊」という、文字をずっと見続けていると意味を失っていくっていうのがあるじゃないですか、あれに近い状況になっちゃって。「これって面白いの」って人に聞かなきゃ分かんない状況。

だから映画祭で反応見ようと思ったんですね。

でも結局は両極端でよくわかんない。まあでも、両極端ということはそれなりのポテンシャルがこの映画にはあるんだろうということで、決断しました。監督が4人いるということも、作品についての実感が希薄になってしまった理由の一つでしょうね。

 

世間の反応について

‐‐‐去年の11月ぐらいに「映画として上映する」という気持ちを固められましたが、最初に公開した時の「賞賛と罵倒」を受けた状態と比べて、いま一般公開する時に心境として変化されたことはありますか?

 上映を決めたあとは、あんまりなかったですね。ネットでもいろいろ書かれていましたから反応は気になりましたけど。「2ちゃんねる」なんて一番アナーキーな場だと思ってたんだけど、みんな同じ方向なんですよね。「遺族の心情を踏みにじりやがって」っていう。それは今まさしく、世間一般が共有する心情でもあって。拉致問題だったり光市母子殺害事件の裁判であったり、そういう一方向的な正義を、最もラジカルでアナーキーであるはずの「2ちゃんねる」も例外なく背負ってしまっていたわけで、つまんないなあと思いますね。

‐‐‐ネットとか結構チェックされるんですか。作り手の方って見ないという人も多いですけど。

 チェックしますよ(笑)。確かに見てたらしんどい時もありますけど、とりあえず見ちゃいます。自分への評価のところを見てたらたまに擁護するような意見を書き込みする人がいて「あ、森が書いている」とか書かれたり。書くわけないじゃん(笑)。よっぽど「書いてやろうかな」と思ったりしたけど。

‐‐‐それでも書くことはないんですよね。

 一回大昔に、『A』か『A2』のとき、自分で名乗って書いたことがあって、結構大騒ぎになっちゃったんですよね。周りから「絶対やめろ」と言われて、それ以降書いてません(笑)。

 

‐‐‐今回の東日本大震災があって、社会全体として「絆」だったり「がんばろう日本」だったり一丸となることを目指すスローガンがもてはやされているとは思います。ただ森監督は、オウムの『A」『A2』の頃から「危機があったら一致団結する」という人間の習性と、その裏の怖さっていうのを訴えられていたと思うんですが。

 それは今回も全く同じですね。そういう意味では、自分の思いは変わってないです。本当にワンパターンというか。だからそういったところのメッセージを込めていきたいです。

ただ『311』を以前上映した時に安岡が「『A』と『A2』はメディア批判の映画のように捉えられているが、その主体である森と安岡が、違う位置からメディアを俯瞰して批判しているかのように思われているので、それは違う」と。

「僕らもメディアなんですからそれは、どこかでちゃんと『自分たちの無様さ』や『醜悪さ』、あるいは『劣悪さ』を出したいなと思っていたので、今回の『311』で出しました」と言っていたので、横で聞きながら「なるほどな」と思いましたね。

 

‐‐‐安岡さんと組んで長いんですよね。

 『A』からですね。20年近くになりますね。

‐‐‐お互いのやり取りの中で気づかされたり、はたから無責任を承知で言うと、「いい関係の二人だなあ」と思うんですが。

 確かにそうですね。まったく好対照なんです。一つとして似ているところがない。だからむしろいいんじゃないかって思います。

‐‐‐今作『311』の編集をすべて任せたんですよね。

 今回はね。だって4人が本気になったら絶対意見合わないですよ。だから編集は彼に任せるしかないって思いました。

‐‐‐その編集されてきたのを、残りの3名の方があとで見るという流れで?

 そうですね、帰ってきて一カ月ぐらいで安岡から「つないだからみんな見に来てくれ」って言われて、まだその時も映画にすることとか考えていないですけど、みんなで集まって2時間半ぐらいのものを見ました。いろいろ意見出ましたけどね、それをまた安岡が引き取って、再度編集したらまた集まって、という流れで作っていきましたね。

(後編に続きます。こちら
(『311』公式サイトはこちら

(2012年3月 取材・執筆:森田和幸)