本来、人は生まれながらにして配られたカードで、人生というギャンブルを切り抜けていくしかない。
血統が違えば環境が違い、環境が違えば立場が違うのだから。
それでも、人生は判らない。予想外のことが起きたりするものだ。
カメラのレンズの先で口付けを交わす新しい夫婦。ここにたどり着くまでも様々な『予想外』があっただろう。
自分にもあった。
ずっとこうやってカメラを通して結婚を観るだけの人間であると思っていた。
ところが先日の『ローマの休日デート』をしたせいか、高砂に自分と大鳥が立っている未来が見えてきた。
本人に『好き』だとも言えていないくせに気が早い。
つい苦笑した。
ともかく今は大鳥を主役にした映画を撮るのだ。
そのためにはお金がかかる。
まず機材。
昔はカメラ本体に加え、フィルムの購入をしなければならなかったらしい。
価格はまちまちであるが、8mmフィルム六〇分で五万円前後から。
映像を綺麗にしたいと16mmフィルムに変えたら十五万円前後からだ。32mm、64mmと上を見ればきりがない。
しかもフィルムは撮り直し不可。失敗したときの分まで買っておかなければならない。大体三時間の撮影を編集すると二時間になったりする。
事前に絵コンテで無駄な部分を省くとは言え、大きな出費だ。
とどめとして現像代。フィルム代と同じくらいの値段になるそうだ。
それに比べると現在はフラッシュメモリがあれば何度でも取り直しが利く。データもハードディスクなど、別のところに簡単に移せて保存もできる。
4K動画でも六十四ギガバイトあれば八〇分弱の撮影が可能だ。そのメモリカードも五〇〇〇円しない。データを移し替えるハードディスクも四テラバイト(四〇〇〇ギガバイト)が一万円という価格。
動画を撮るのも圧倒的に安い時代だった。
さらに映画用のカメラでなくとも、携帯(スマホ)や一眼レフカメラで、それなりの画が撮れる。
実際、アキトシが結婚式で動画を撮る際に使っているのは一眼レフカメラだ。
他にもマイク、照明、編集用のパソコンと必要だが、最低限のものを揃えるなら一〇万かからない。
それにアキトシは映画専門学校の出身。そこからある程度、貸出が利いた。おかげで性能の良い機材がタダで使える。専門学校の編集室が空いていれば、そこも貸してもらえた。
ただ、撮影で使う消耗品は負担しなければならない。セロハンやテープ、小物などだ。
他の費用として人件費が挙げられる。撮影で一〇人参加するとして当日の弁当代や、飲み物代……それに現場は体力仕事なので栄養ドリンクなどを考えると一日一万円以上かかる。下手すれば二万円でもおかしくない。
撮影に一〇日使えばそれだけで一〇~二〇万円だ。当然、一〇日で撮影が終わるほど簡単ではない。実際には短くても二、三ヶ月はかかるだろう。
身内だけなら最悪、自分たちで弁当代などを負担するのも考えられるが、それだと人手が足りない。他の人を連れていくなら日給も払う必要があった。
他にも機材を運搬するためのレンタカー代。それに付随してガソリン代、駐車場代など。撮影場所を借りるのだとすればレンタル料を払わなければならないし、もしアフレコをするならスタジオを借りる必要も出てくる。
短く内容が絞られた映画ならば一〇万円ほどで済むが、今回は映画館で上映するに足りる映画を撮るつもりだった。
本次第ではキャストもケチっていられない。
ともかく、本気で、死ぬ気で映画を撮るのだ。
二時間弱の映画を撮るためにはおよそ五〇〇万……。
四〇〇万でいいから貯めておきたい。
かなりの額だったが、明確な目標ができたことで、アキトシは今まで以上にやる気に満ちていた。
この結婚式、絶対に良い写真を、良い映像を残してやるのだ。
ただ、上手く撮れたからと言って給料が上がるわけではない。気分の問題だ。
お色直しの間も気を抜かない。
いろんな人のいろんな表情をフレーム内に収めていく。ひとつひとつが人生で、物語。新郎新婦の人生に彩を添える出演者。
「……あれ?」
そんな中に見覚えのある人物がいた。
「おう、兄やんやんか」
シャンパンを片手にニヤリとした表情をする初老の男性だ。生え際が少し後退しているが、髪は長く後ろでくくられている。
首をかしげ、眉を引き上げる仕草が普通の人ではないと感じさせた。
「深作さん……?」
「お、覚えてくれてたんか。ごっつ嬉しいな」
以前、別の結婚式で知り合った映画好きの男性だった。
「あれ、この結婚式……?」
「また別の孫や。めでたいことは続くっちゅー奴やな」
笑っている顔は幸せそうではあったが、どこか退屈そうにも見える。
……それに孫と言った。初老だと思っていたが、老人の域なのか?
「……どうや。兄やんの『夢』は? バケモンに……はなってなさそうやな」
「判りますか?」
「殺された奴は、そんな顔せーへんからな」
以前、深作はアキトシに『夢は残酷だ、暴力だ』と語った。
夢を追いかけると才能のなさ、根性のなさ、知識のなさ、運のなさを嫌が応にも思い知らされるから。
今の自分の状況を伝えてもいいものだろうか?
嫉妬されるかも知れない。
苛立つかも知れない。
だが、隠しているのもなにか気持ち悪い。
「そいで、未来の映画監督の現状はどないなんや?」
その一言で、深作の言葉を思い出す。
――人を感動させられるとええな。
応援してくれていた。
暴力の気配を感じさせる、少し怖い人だけれど、同じ夢を見た、旅の仲間。
報告せずにいられない。
「撮りたいものが見つかりました。まぁ、でも本はこれからなんですけどね」
「ほう、進展あったみたいやな。なんか、ええ顔してるのはそのせいか」
「ええ、まぁ……」
思わず新進気鋭の映画監督に待っていると言われたことや、好きな人ができたことまで報告しそうになる。
それは深作にとって必要のない情報だろう。
ぐっと我慢した。
「撮りたいのは、なんや? 聞いてもええか?」
真っ先に大鳥の顔が浮かんでくる。
けれど、深作に伝えるのはソコではない。
「『繋がり』です」
「ほう……『繋がり』? 癒着か?」
深作にかかれば、どんな言葉も暴力的になるなと感心した。
それと同時に『癒す』という字が使われるのに、癒着には暴力的なイメージがあるのだなと気づいた。
ただ、癒すためには、まず傷つかなければならない。
そう考えれば『癒す』に暴力的なニュアンスが含まれているのは至極当然のことだったが。
「癒着ってことはないんですけど……ええっと、そうですね……どれから話したらいいかな……」
「まぁ、俺も兄やんとは『映画』で繋がったクチやからな。ぜんぶ言わんでも判るで。つまりは『縁』って言いたいんやろ」
「あ、そうですそうです。そういうことです。さすが深作さん」
「殺されても『映画監督』やからな」
クツクツと笑いを漏らす。不思議と楽しそうだ。
「……ええな。俺も映画と癒着した人間か。一度、映画という夢に殺されかけて、それでも死にきれんかって、傷が癒えても映画から離れられん。まさに繋がり……『癒着』っちゅー奴や。縁で言うなら腐れ縁やな」
深作は自分の胸を擦った。
「そういや前にな、心臓の手術したんや。傷痕あるんやけど、見るか?」
「へ? え、い、いや、遠慮しときます……」
「まぁ、そうやわな。気にせんといてな。変な趣味があるわけやあらへん」
突然の話題……というよりは癒着という単語から思いついた話題なのだろうが、真意が判らなかった。
「結婚してない孫はあと四人おるんや。こんな男にもったいないくらいのエエ人生やったと思う」
シャンパンをあおり、深作は大きなため息をついた。
「まるで死ぬかのような言い草ですね」
「結婚は人生の墓場ゆうやろ? つまり結婚式は葬式と変わらんっちゅーこっちゃで」
不謹慎だったが、ついアキトシは笑ってしまう。
「やり残したことは少ないねん。もう後は面白い映画が出てくるのを待つばかりや……受け身の生き方、つまらんと思わへんか?」
「また映画を撮られるってことですか?」
「そうやない。俺は前にも言った通り、夢を一度あきらめた人間や。そんな人間ができることっちゅーんはな、少ないんや」
「なにをするんですか?」
「資金を出したる」
「へ?」
「兄やんとこうやって何度も会ったんは縁や。兄やんの言うところの『繋がり』やろ。しかも本業でない仕事を生き生きできるっちゅーんはな、だいぶええ傾向や。それだけ本業に未来が見えてるっちゅーことやからな」
さすが人間観察を重ねているだけあって鋭い。
「え、でも、いいんですか……?」
「いくら欲しいんや?」
「え、遠慮なく言えば四〇〇万ほど……」
五〇〇万とは言えなかった。
「そこそこやな。ええで。出せるわ。そのくらいなら。ただ、条件があるわ」
「条件……?」
「簡単や。本を見せてんか。それで内容が金額に見合うような内容やったら資金を出したる」
深作は懐から一枚の紙を取り出した。
「このアドレスに送ってんか」
名刺だ。そこにはIT系企業らしき名前と代表取締役の文字。
――え、この人、社長だったのか!?
「ざっくりしたもんでもええ。俺の心にビシッと刺さるような奴であれば、四〇〇万はその報酬や。それと、いつまでも待ってたら俺が先に死んでまうかも知れへんからな。期限も一ヶ月や」
「一ヶ月……!?」
「プロット練るくらいなら充分な時間やろ」
確かに深作の言う通りだが、迷走に迷走を重ねればアッという間に過ぎる時間でもある。
それに、こんな好条件があるだろうか?
本のできが良ければ資金が――しかも、望んでいた額――すぐさま手に入るのだ。
真剣であれば真剣であるほど、断る理由などない。
「わ、判りました」
「本が来たら他の仕事を置いといても見たるわ。楽しみにしてんで」
――それでは皆様、ご両人のお色直しができましたようなので、お席の方へお戻りください。
式場に案内の声が響いた。
クツクツと笑いながら深作は自分の席に戻っていく。
その小さな背中は、まるでアキトシに『できるもんならやってみろ』と言わんばかりだ。
アキトシには、それがとても巨大な壁に見えた。