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映画監督「石井岳龍」

石井聰亙(そうご) という名前を聞いたことはあるだろうか。
往年の映画ファンには聞きなじみのある映画監督だ。
特に、「日本の自主映画の一潮流を築いた人」として、映画好きだけでなく映画の作り手たちからも非常に評価が高い。
代表作は『狂い咲きサンダーロード』(1980)や『爆裂都市 BURST CITY』(1982)、『逆噴射家族』(1984)など。その他にも実験的短編映画や、映画というジャンルを超越した作品を作り続けている。
あのクエンティン・タランティーノが「好きな日本人監督がイシイばっかり」」と評した中に挙げられた1人である。

そんな石井監督が、ここ関西の地で“再始動”した。
まず、2010年。かつてのファンに親しまれた「石井聰亙」という名前から、「石井岳龍」に活動名を変更。
神戸芸術工科大学で学生に映画製作の指導をしながら、自身の監督最新作『生きているものはいないのか』(2012)を制作した。
その石井監督が今こだわるのは、「関西、神戸から映画を作っていくこと」だという。
そのあたりの話を少し伺った。


■神戸で映画作りを教えながら映画を撮られていますが、まず神戸で映画を撮ることの利点や魅力などあれぱ教えてください。

神戸はフィルムコミッションの力が大きいと感じています。映画撮影にも非常に協力的です。

また周辺の自然にも素晴らしいところが多い。神戸という街自体の大きさも。山もあり海もある。撮影に必要なロケーションが、近場ですべて揃うのは大きな魅力でした。
これからも神戸を拠点として、映画を作っていく意気込みでやっていきたいと考えています。

 

■大学で映画制作を教えていらっしゃいますが。

若い人たちにどんどん映画を撮ってほしいと思っているんです。「芯」となるような人材を作っていきたいなと。
教えている学生たちの中でようやく、海外で賞を獲る映画を作った人が出てきました。そういう新しいウェーブを興したいですね。
私はその拠点を作ろうと思っています。形を作らなければ人材も育たないでしょうし。
継続してやっていきたいですね。油断すると振り出しに戻りますから。

 

■最新作『生きているものはいないのか』(2012)について。

原作を読んで、今の大学生のリアルな感覚、くだらない話をしている大学生たちの空気感が凄く出ている作品だと思いました。2007年に書かれた戯曲なので、そこまで最新ではないのに、それでも今も全然通用しますね。
ちなみに主演の染谷将太君は、『パンドラの匣』(冨永昌敬監督、2009年)を見て、凄い役者がいるなと感じていました。
他の俳優はオーディションで選びました。学生も入っていますが、意識して学生を参加させたわけではありません。彼らが自分で勝ち取った役です。

 

■映画づくりの若者に向けてメッセージがあれば。

みんなやればできると思うんです。特に若いうちは。
でも先のことを考えすぎる人たちが多いように思いますね。「作って失敗したらどうしよう」とか。
結果は本当は一番大事ではなくて、今やっていることの積み重ねが大切なんだと思います。
順番が逆なんですね、先に結果を求めがち。
やりたいことがあるからやっている。それを続けているから結果がある。
私は、そういう力を信じているんです。

 

 

石井監督ありがとうございました。
これからも関西でのご活躍、楽しみにしています。

(2012年2月 取材・執筆:森田和幸)