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「映画と短歌と街をゆく」 第2回 岩国、入れ替え無しの同時上映(奈良絵里子)

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こんにちは。歌人の奈良絵里子です。

映画館についての記憶を色々と辿っていると、子供の頃のことを思い出しました。

私が初めて、同級生の友達と二人だけで映画を観に行ったのは、1995年公開の『学校の怪談』だったと思います。小学3年生。

当時、オカルトとかホラーってブームだったんですよね。私も怖い話大好きで、特に「本当にあった」系の読者投稿をまとめたみたいな本をよく読んでました。黒とか赤色の装丁で、題字が溶けてるみたいなやつ。たくさん読んだら話のパターンを覚えてくるので、放課後の教室に人を集めて怖い話をしたり……。

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まあとにかく大人気で大好きだったシリーズが映画になるので、同じアパートに住んでいた同級生のさっちゃんと二人で観に行くことになりました。

この頃、私は山口県岩国市に暮らしていて、映画を観るならJR岩国駅前にある「岩国ニューセントラル 」。うちからは車で40分くらいかかりますが、一番身近な映画館でした。

行きは、私のお母さんが車で二人を映画館の前まで送ってくれて、窓口でチケットも買ってくれました。携帯電話もない時代のこと。母とは映画が終わる時間に同じ場所で待ち合わせる約束をして、さっちゃんと二人で劇場へ入りました。

ところで、今の映画館ってシネコン化が進んでものすごく綺麗だし、チケット売り場も、待合いがあったりポスターやパネルがあって賑やかですよね。地方は今もそんなことないんでしょうか。

私の記憶の中のニューセントラルは、座席が真四角で小さくて、肘おきは赤いビニールコーティングかプラスチック製。床もビニールタイルか、コンクリートむき出しじゃなかったかな。
天井は謎の配管が所々にあって、壁はモコモコしたグレーのフエルトとホコリとが一体になったような状態。
まあ、汚かったといえばそれまでなんですが、単純に古かった。

それが嫌だったかというとそんなこともなくて、子供用に安全ピカピカになっていないぶん、大人の場所という感じで、映画への期待とないまぜにもなって、少し背のびしているような場所でした。

そんな中で『学校の怪談』をドキドキしながら観終えた後です。実はこの映画、『トイレの花子さん』と同時上映。もちろん花子さんも観たくてやって来たのですが、ふと私の頭に「お母さんも同時上映だとわかってたのか?」「本当に2作品ぶんチケット買えているのか?」と疑問が湧きました。

最近はもう見かけませんが、昔は映画って「入れ替え無し」の「同時上映」がよくありましたよね。2つの作品が同じスクリーンで交互に上映されていて、入り口でチケット買ったら何回でも観られるシステム。

当時のニューセントラルは、たぶん作品によって、入れ替え有りと無しが混在してたんだと思います。で、周りの人が席を立っていく中で、ほんとにこのまま観てて大丈夫かなあ、チケット足りてなくて怒られないかなあ、と心配になったんです。

さっちゃんは「よくわからん」「観てもええんじゃないん」と言うんですが、もしも母と意思疎通が出来ていなかったら、私たちが『花子さん』を観てる間に外に母が迎えに来てしまうわけです。そこで落ち合えなかったら、もう二度と、帰れないかもしれない!

今思えば、親とそのくらいの行き違いがあっても大丈夫だし、チケット代を注意されたら、そのとき払えば問題ない、死にゃーしない。のですが、まだ子供で緊張しいの私にとってはそれこそ「死にもする」くらいのこと。それで一旦ロビーに出てオロオロしているうちに、『花子さん』が始まってしまいました。

さっちゃんも『花子さん』が観たかったはずなのですが、あんまり執着もない感じで、とりあえず外に出て母を待ってみて、来たら事情を話そうよと映画館の前に出てみました。

たぶん土日の昼過ぎだったんだと思います。待てど暮らせど母は来ないし、でも映画館内にも戻れません。1時間半くらいの暇つぶし、家や近所なら簡単だけど、お金もないのに寂れた駅前商店街でウロウロすることもできず、小学3年生には辛かった。

そこでしびれを切らしたさっちゃんが「私、歩いて家まで帰ってみる」と言い出しました。えー待って待って。車で40分かかる場所ですよ。地方なので山も川も越えてきてます。道もよくわかんない、はずなんですが、さっちゃんはなぜか自信満々。
私は、さっちゃんを劇場から連れ出してしまった罪悪感もあるし、一人で残るのも心細いしで、半分べそかきながらついて行くしかなかったです。

商店街を抜けて、国道沿いの大通りを歩きながら、さっきまで座っていた固い座席と冷んやりとした映画館を思い出していました。自分がしっかりしていれば、大好きな『トイレの花子さん』を二人で観られたのに。

さっちゃんは、途中で私の母の車とすれ違うかもしれないから全部歩かなくてもいいかも、なんて励ましてくれるんですが、そんな映画みたいなこと起きるんでしょうか。そもそもこの道で合ってるんでしょうか。母にはもう一度会えるんでしょうか。大きな川を渡りかけたところで、もう私はこわくてこわくて、さっちゃんに手を繋がれたままわんわん泣きました。

その後のことはあんまり覚えてません。たぶん、さっちゃんと一緒に道を引き返して、映画館前で母と落ち合えたんだと思います。

大人になって、映画館のシステムも変わって、私は緊張せずスイスイと映画を観ることができます。でも、例えばネット購入したはずなのにチケット発券機でエラーが出たときや、上映ギリギリに本館と別館を間違えていたことに気づいたとき、べそをかいた小3の自分がふっと心によみがえるのです。

【今回の一首】
僕たちのジュブナイルなら一本の映画を観に行くことがはじまり

執筆:奈良絵里子
1986年生まれ。大阪在住。中学校の国語の授業がきっかけで短歌を趣味にする。枡野浩一短歌塾四期生。
同人誌『めためたドロップス』ほか短歌とミニエッセイの寄稿など。コワーキングスペース往来にて月1の講座「もしも短歌がつくれたら」スタッフ。伊丹市立図書館ことば蔵にて「そうだ、歌会始行こう!」など、短歌初心者向けの小さな催しをたまに企画する。

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