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[寄稿]『DON’T STOP!』監督 小橋賢児さん

今回紹介するのは、映画『DON’T STOP!』で初監督をつとめた小橋賢児さんです。
※大阪での公開は終わってしまいましたが、まだまだ全国で上映されていくとのことで、遅まきながら今回インタビュー記事を掲載します。

小橋さんは8歳で芸能界デビュー。ドラマ「ちゅらさん」や映画『あずみ』など、数多くの作品で俳優として活躍してきました。2007年に俳優業を休業しアメリカに留学。帰国後、ファッションブランドの映像制作やイベントプロデュースなどで活躍しています。

今回の作品『DON’T STOP!』は、ドキュメンタリー映画。交通事故で下半身と左腕の自由を失われ一日の大半をベッドの上で過ごす通称CAP(46)が「一度でいいからアメリカに行って、ハーレーでルート66を走りたかった」と話したことをきっかけに制作されました。作家で自由人の高橋歩さんとその友達、CAPの母親とその幼なじみ、娘2人の11人が過ごした、テキサスからサンタモニカまでの10日間、4200キロの旅をカメラにおさめています。

今回は小橋監督に、映像制作への思いや今作のきっかけをうかがいました。
これから作品を観ようと思っている人だけでなく、すでに観た人も、改めて小橋監督の思いに耳を傾けてみてください。
(当インタビュー記事は、「梅田経済新聞」より寄稿していただきました)


『DON’T STOP!』舞台あいさつのため来阪した小橋賢児さん

‐‐‐27歳で俳優業を休止されて、海外に行かれたのですよね。そこから映像制作に携わることになった経緯を教えてください。

小橋 最初は旅行で撮った写真を友だちに見せる程度だったんですよ。一人で海外に行ったりしていると自然や景色などがすごくきれいで、それを人に伝えたいけど、居酒屋に行って2時間ぐらいその話をしたり、大量の写真を見せられるとうっとおしいですよね。そこで独学で旅の映像を撮って、編集して友だちに見せたら「いいじゃん、いいじゃん」って。旅行に行って写真や映像を撮ってる人は、みんなその後どうしているんだろう、1回見たら終わりという人も多いんじゃないかと思うようになって、それを切り取ってちゃんと見せたらいいのではと思ったんです。

‐‐‐映像制作を仕事にしようと思い始めたのは?

小橋 休業前の26歳の時にネパールへ一人旅に行って、その時にものの見方や価値観が変わったんです。自分の知らない世界を知りたい、コミュニケーションの可能性を広げたいと思って、27歳で俳優業を休業して海外生活を始めました。日本に戻ってから旅の映像を友達に見せたりしているうちに、ブランドのPVやイベント用の映像を頼まれるようになりました。

‐‐‐そして、今回の映画『DON’T STOP!』を制作するきっかけとなった高橋歩さんと出会ったですよね。

小橋 この映画にも出てくるユウイチくんと出会って意気投合し、その流れで高橋歩くんと知り合いました。「直感でアメリカに住みたいと思ったけど、聞かれても理由はない」と話した自分に、「大人は夢に理由をつけたがるけど夢に理由はない、ただワクワクしたいだけだ」というストレートな歩くんの言葉が響いたんです。
その歩くんが話してくれた中に、北海道のことがありました。トークライブをしてたら知らない女性が楽屋に「息子に会ってやってください」って直訴しにきたことがあったと。息子に会いに行ったら「一度でいいからアメリカに行って、ハーレーでルート66を走りたかった」っていうので、「じゃあ、キャンピングカーで行こうよ」ってなったって。その話を聞いて、「映画撮らせてください」って言葉が先に出ちゃいました。映画を撮ったことなかったけど「撮りたい」と直感で思ったんです。

‐‐‐その後、不安になったりしませんでしたか?

小橋 根拠のない自信があったんですね。それに、もっと現実的な話だったら無理かもってなってしまったかもしれないけど、夢の大きい話からできたんじゃないかなと。誰でも現実的な話だったら「どうやって?」「無理じゃない?」ってなってしまうと思うんですよね。


(c)2011『DON’T STOP!』製作委員会

‐‐‐CAPの第一印象はいかがでしたか?

小橋 「ファンキーなおやじ」って聞いて、こんな田舎に本当にそんな人がいるんだろうか? って思ってましたけど、初対面は車イスででてきて「Nice to meet you!」って言われて。一見怖そうな感じだったけど、映画を撮りたいって言ったら「OK! OK! I’m HERO」って快諾してくれました。見た瞬間、「こんなキャラクターの人がいるんだ。主人公にぴったりだ」と思ったけど、ポップな部分の一方で、閉じてる寂しさ、むなしさを感じもしましたね。

‐‐‐そこから約1カ月、CAPと一緒に生活されたんですよね。

小橋 長い間、話し相手がいなかったから、毎晩お酒と長い話に付き合うのが大変でした(笑)。でも生活していく中で、現実は大変だと分かったんです。日常的に介護をしている家族の人は、助ける部分とそうじゃない部分がをきちんと分けていて、「そんなに放っておくの?」って驚いたこともありました。
でもそのうち、CAPが車イスに座っていることを忘れたんです。心が見えてきて、自暴自棄になっているのは車イスだからじゃない、自分で環境のせいにしている、と思ったんですね。社会人も同じように、忙しさや物理的なものを言い訳にしていますよね。車イスはたしかに大変だけど、変えようのない事実。「車イスだからできなくていい」って言い訳の材料に使っているんじゃないかなと。
それは、「俳優だから忙しくてできない」と言っていたかつての自分と重なったんです。「映画を撮りたい」と思った直感はこれだったのかなと、あとで思いましたね。

‐‐‐撮影していて大変だったことはどんなところでしたか?

小橋 撮っている間は感覚でやっているところが大きくて、「どう撮ろう」とか考える余裕もなかったですね。僕はずっと寝袋でスタンバイしてたけど、スイッチが入ってたから大変だとは思わなかったんです。

‐‐‐では逆に、楽しかったことは?

小橋 直感で始めたことだったから、なんとなく終わってしまうんじゃないかと思ってたけど「何かが」降りてきましたね。景色や人との出会いなど、あり得ないこともたくさん起きて、直感は間違ってなかったと。こういうの、僕はよくあるんです。


(c)2011『DON’T STOP!』製作委員会

‐‐‐ちなみにこの作品は、ナレーションがないドキュメンタリーなんですね。

小橋 僕自身が押し付けるものではなく、あくまでも気付きのきっかけだと思ったからです。僕自身も作りながら学びました。毎日が奇跡やハプニングの連続で、人生の縮図のようなことが起きてましたね。だから、1点だけを見つめるのではない、ということを今回の旅を通して学んだと思います。

‐‐‐編集はいかがでしたか?

小橋 編集にかかった期間は半年間でした。もともと3カ月で終わる予定だったのですが、3カ月目ぐらいでなんだか不安になってきて。だから1週間ほど、携帯電話も持たずお寺にこもったんです。そこからまた3カ月ぐらいかけたんですけど、やっぱり直感を信じて編集していたら、ある言葉やシーンがつながった瞬間があったんです。奇跡って起こるんだなって思いました。

‐‐‐今回監督をされましたが、俳優やその他表現の方法もいろいろあると思います。今後はどのような活動をされるのでしょうか。

小橋 今、自分の会社ではアーティストのPVなど映像制作、ディレクターとしてパーティーの演出などをしています。メンバーを固定すると同じようなものになってしまうので、プロジェクトごとにいろいろなメンバーとコラボしているんです。
そこで、イベント演出、俳優、映像ディレクターの3つの要素が重なったらどうなるのか。そんな、クリエイティブを通して気づきの場を与える、肩書きを超えた職業を自分で作りたいなと思っています。

‐‐‐最後に読者の方にメッセージを。

小橋 この映画が、どのような切り取り方をされたのか聞いてみたいですね。シェアしてもらって、ツイッターなどでメッセージをもらえればうれしいです。


舞台あいさつを行う小橋さん

 

(2012年9月 取材・執筆:「梅田経済新聞」

■サイト
『DON’T STOP』公式サイト
http://dontstop.jp/
小橋賢児さん、梅田で初監督作品「DON’T STOP」舞台あいさつ【梅田経済新聞】
http://umeda.keizai.biz/headline/1418/