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映画監督「若松孝二」・俳優「井浦新」

若松孝二、という映画監督がいます。
かつて「体制への怒り」をテーマに据えた作品作りが、多くの若者たちの共感を呼んだ監督です。

そのエネルギーを結集したような映画『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(2007)が大きな反響に。
第20回東京国際映画祭の「日本映画・ある視点 作品賞」、第58回ベルリン国際映画祭の最優秀アジア映画賞と国際芸術映画評論連盟賞、毎日映画コンクールの監督賞、日本映画評論家大賞の作品賞など、数々の栄誉に輝きました。
その次作であり寺島しのぶ主演の『キャタピラー』(2010)は、撮影期間12日間、少数スタッフでの撮影という条件ながら、寺島しのぶさんがベルリン国際映画祭の主演女優賞を受賞するなどの評価も。戦争に翻弄された1組の夫婦を描いている作品です。

そして今年。
若松孝二監督は、2本の映画を制作しました。
1つは冒険小説家・船戸与一さん原作の『海燕ホテルブルー』、そして戦後の文学と思想活動に大きな影響を与えた三島由紀夫に焦点をあてた『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』。
とくに後者は、年配の方がいまだ鮮明な記憶として覚えている1970年の「市ヶ谷駐屯地での割腹自殺」事件をクライマックスとする、三島由紀夫とその周辺の若者たちを描いています。『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』『キャタピラー』と合わせて「昭和三部作」と呼ばれることも多いこの作品。

なぜ若松監督は、いまこの平成の世に、こういう映画を作ったのか。
それをひもとくために、今年3月末に大阪で開かれた同映画の記者会見の模様を、簡単にですがお伝えしたいと思います。

ちなみにこの会見には、『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』で主人公・三島由紀夫を演じた井浦新(ARATA)さんも登場しました。若松監督の言葉だけでなく、井浦新さんから見た若松監督を感じてください。

(『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』公式サイトはこちら

三島役に井浦新を選んだ

‐‐‐井浦新(ARATA)さんは今回、三島由紀夫という重要な役どころですが、キャスティングされた時の思いとか、こういう実際にいた人を演じる難しさとかはいかがでしたか。

井浦 作品に参加することは決まっていて、クランクインの日にちが先に決定していたんです。そして2カ月前に監督から「ARATAに三島を任せた」と連絡をいただきました。僕は『実録・連合赤軍~』にも参加させていただいているんですが、その時現場で「俺は今後は右側も撮る」とおっしゃってたので、「いよいよだぞ」という思いはあったんです。でも何の役かは知らされていなかったので、嬉しいという気持ちより先に驚きましたね。「自分にできるのか」という思いがふくらんだり。でも、監督が言った「俺はモノマネの映画や再現ドラマを撮るという気は全くない。ARATAが思う三島由紀夫を、勝手に演じてくれ」という言葉が、背中を押してくれました。
ただ、撮影に向けた準備はそれほどしていません。もともと三島由紀夫さんは映像や本などで知ってはいました。そこで、「三島由紀夫に関して描かれた美しい像」を意識的に排除しました。自分が持っている「三島像」をそぎ落としていく作業ですね。そして監督が仕上げた台本を自分の血肉にしていく作業に、クランクインまでの2ヶ月間を費やしました。
監督が撮影する前におっしゃった言葉があって、この現場だけでなく『実録・連合赤軍~』の時からずっと言われてきたことなんですけど、「お前はどんな心を今映し出すんだ。どういう芝居をして、お前の心を俺に見せるんだ」と。監督はいつも「心」ということを大切に撮影されています。だから今回は、三島由紀夫さんだから、ということで気負ったわけではなく、自分が学んできた若松監督の現場でのことを生かし、日本のことを思って自決していった一人の男というものを、自分でも想像して、自分で感じた心のまま演じていきました。

若松 そう、新(ARATA)の三島を演ってほしいと言いましたね。一回目から本番ですよ。変にうまくやろうかなとか考えるより、どんどん撮っていきました。そうしたらあっという間に終わっちゃった(笑)。撮影は結局2週間かかってないんだよね。

井浦 そうですね。『キャタピラー』もそれぐらいですよね。

若松 そう、あの作品も同じぐらい。変にテストやってあーでもないこーでもないってやっていると、三島さんのああいう感じが出ないなと。だから僕は俳優さんやスタッフと、ほとんど打ち合わせや脚本読みをやったことがないですね。

‐‐‐三島由紀夫役にキャスティングされたのは、三島に近いものがあると感じたのでしょうか?

若松 僕もいろいろな人を考えてはいたんです。監督ってずるいからね、一番いい人を演ってもらいたいからって想像してみるんですけど、結局新(ARATA)君に戻ってくるんだよね。

井浦 ありがとうございます(笑)。

若松 でも、そうしたら新(ARATA)が別の撮影で右足を骨折したという・・・。

井浦 そうなんです、さっきの「お前に任せた」という電話をいただいた時、実は僕は病院のベッドの上でした(笑)。「ありがたいんですけど、昨日骨折したんです」って言ったら、「それは困るぞ、とにくか治せ」って(笑)。でもそういう言葉が背中を押してくれたのか、何とか治りましたね。撮影までには立って歩けるようになりましたから。気持ちさえしっかりもってやれば、体もどうにかなるんだなって実感しました。
自衛隊の訓練とか、体を激しく使うシーンもあったんですが、その時退院後初めて走りました。監督はリハーサルやテストを一切しないので、本番の一回目で走って、「ああ、走れたな」って。あの走り方の必死さは芝居じゃなかったですね(笑)。

若松 資料を調べると、三島さんは下半身が凄く弱かったらしいです。だから新(ARATA)が足を引きずりながら帰ってきた様子が、ものすごくリアルでしたね(笑)。

井浦新が見た、若松監督の現場

井浦 撮影までの2ヶ月間と撮影の12日間はすごく集中してたんです。監督とこの作品のことしか考えてなかった。リハビリ中も台本読んでリハビリして、というだけの繰り返しでしたね。

‐‐‐『実録・連合赤軍~』の時は監督から怒声が飛ぶことが多かったと聞きましたが、今回はそんなことなかったですか?

井浦 僕は、監督が何を求めているかということを共有する時間、肌で感じられる時間を長く過ごさせてもらったので怒声はなかったんですが、今回初めて若松監督作品に出たという若い役者たちはそうでもなかったですね。彼らは今まで別の現場で学んできたことを見せようとする。それはまさに『実録・連合赤軍~』で僕が監督から指摘されて怒鳴られたことなんですけど。そうやって監督がどんどん追い込みをかけていったから、彼らも鬼気迫る芝居になったんじゃないでしょうか。ちなみに僕にとっての追い込みはゼロでした。それが逆にプレッシャーでもあったんですけど(笑)。

若松 みんな、変にテレビ的な芝居をするんですよね。「顔をしかめれば上手いってもんじゃないんだぞ」ってね。でもしぼって追い込んだおかげで、見た人に「すごくいい」って言ってもらえる迫力になったと思います。

‐‐‐現在新(ARATA)さんは若松監督の作品に連続して出演されていますが、そのあたりの気持ちは?

井浦 若松監督の作品に関しては、一作一作に対して勝負というか、命をかけてやり遂げていくような感じです。監督と向きあおうとみんな必死ですし。でも終わった時は、すごく達成感というか、他の監督のもとではなかなか味わえないものを体験させてもらっています。

‐‐‐今年から名前をARATAから井浦新に変えられましたが、それはどういう心境で?

井浦 僕の単なるわがままなんですけど、撮影撮り終えた時に「ああ、終わったんだなあ」って初めて実感したんですね。その時エンドロールのことを想像したら、最初にアルファベット表記で「ARATA」って役者の名前が出てくるのかと(笑)。個人的にすごく許せなくなってしまったんですね。「美しくないな」と。だから今年から変えることにしたんです。

三島由紀夫、そして昭和の日本のこと

‐‐‐『実録・連合赤軍~』を以前作られましたが、今回はどういう理由でこの作品を撮ろうと?

若松 連合赤軍をやった時、すでに「次は三島由紀夫を撮ろう」と思いました。極左を撮ったので右翼側も撮らないと不公平ではないかと(笑)。それに、あれから何十年たって、何が起きたのかというと何も起きていない。何かを起こそうと、連合赤軍も三島さんも活動したと思うんだけど。そして今のみんなは、こういった題材を使うことにおびえている。でも僕は堂々と作ったつもりでいます。

‐‐‐井浦さんは、三島由紀夫という実在の人物、しかも伝説のような人物を演じることに関して思うこと、またその思想的な影響ってありますか?

井浦 『実録・連合赤軍~』にも出ていたので、僕は若松監督のもとで、両サイドの主義主張を、いったん僕のフィルターに落とし込むことができました。だから主義主張よりも、自分が死に向かっていくのにどのように生きていくか、ということに非常に興味を持ちました。もちろん実在する人物を演じるということに対して、背負うものはすごく大きなものがあります。ただ、思想的に影響を受けてしまっては、他の役ができなくなりますし、そのあたりは少し距離をおいてとらえています。

‐‐‐監督は、三島さんはどういう思いを持っていたと思いますか?

若松 三島さんは、連合赤軍と同じく日本のあり方を変えようと思ったんでしょうね。でも本当に三島さんの遺志で切腹していったのかというと、僕には少し疑問なわけです。にっちもさっちもいかなくなってああいう死に場所を選んだのではないかと。三島さんともあろう人が、自衛隊であんなこと(自決)したって、自衛隊が立ち上がるとは考えていなかったんだと思うんです。でもやらざるをえなかった。
もちろん僕だって全然分かんないですよ。でもたとえば当時の右翼の人でも「心」は全共闘の人と同じだったんではないかと思うわけなんです。唯一「天皇」という存在に対する意識で、分かたれていたのじゃないかと。
で、僕はそれを映画で撮るしかない。ずっと映画を撮ってきたから、映画で訴えるしかないなと。自分で表現したい時、映画しかないんですよ。
連合赤軍も今回の三島由紀夫もそうだけど、今となってはみんながなぜか隠そうとするんだよね。でも映画の影響力はあるなあと実感したので、あと何本撮れるかどうかわからないけど、またそういった題材を描いていきたいなと思っています。

若松監督と井浦新さんのこの映画にかける意気込みをお伝えしました。

映画『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』は6月2日から全国で順次公開されています。
関西では、第七藝術劇場テアトル梅田シネリーブル神戸京都シネマで。
公式サイトはこちら

若松監督が伝えたかった昭和の空気、ぜひ体感してみてください。

(2012年3月 執筆:森田和幸)